あけましておめでとうございます - セドナ 31日目
あけましておめでとうございます。

元旦の太陽ちゃん
日本は、もう5日ですね。もう、お仕事にもどられた方も多いかもしれません。
私はというと、まだ、セドナにおります。滞在日数も残り少なくなって、まだ、帰国していないのに、もう、セドナが懐かしい、なんて、ちょっとへんてこりんな気分になっています。
私、ここ数年、元旦には、一年の計というか、一年の決意をしています。
今年も、また、新しい決意をしました。
一つは、はずかしいから内緒。
もう一つは、ヒーリングの仕事に対して持っている自分の躊躇をのりこえるということです。
実は、年末に大失敗をしてしまいました。
ヒーリングの仕事で決してあってはならない種類の失敗でした。
私のうっかりミスが原因で、お客様に多大な迷惑そして心に大きな負担をかけてしまいました。
とても心のやさしい方で、私に怒りをぶつけることもなく、お詫びの言葉を受け入れてくださいました。
私はというと、自分のしでかした失敗で、かなり落ち込みました。
相手の方に申し訳ない気持ちでいっぱいで、心が苦しくなりました。
「なんてことをしてしまったんだろう。。。癒されるためにセッションにきたのに、逆に迷惑をかけられるなんて、ありえない。。。クリスマスそして年末のホリデー・シーズンなのに、もしかしてぶち壊しにしてしまったかもetc」と、私の思考はぐるぐるし、自分を責める気持ちでいっぱいになりました。
そんな陰鬱な気持ちが続いたある日、ハイキング・ロードを散歩していたのですが、
ふと、われに返りました。われに返ったというか、違う視点がやってきたのです。
あれ、おかしい、その方の気持ちが苦しいならわかるけど、私は何でこんなに苦しい気持ちになるんだろう、と考え始めたんです。
確かに、自分のいたらなさ、こころのなさに気がついて、恥ずかしくなるのはもっともかもしれないけれど、この件で、苦しくなるのは、私じゃなくて迷惑をかけられた方のはず。
その方は謝罪を快く受け入れてくださり、大丈夫ですとおっしゃってくださいました。
なのに、なぜ、私はこんなにつらい気持ちになっているんだろう?
なんで私は、自分のことばっかり考えているだろう?
そう思うと、もしかしたら、私は、
「今回の失敗をきっけに、人から嫌われるのを恐れているだけかもしれない」とか「岡田さんは最低のヒーラーという噂が口コミで流れて、商売上がったりになるかもしれない」とか、そうしたことを恐れて、落ち込んでいるのかもしれないと思い始めました。
そして、自分が、結局は自分のことばっかり心配している最低なヒーラーに思えてきたのです。
でも、そのあと、今まで考えてもみなかったことを考え始めました。
もし、これがクライアントさんとヒーラーでなかったらどうなんだろう?
つまり、この関係にお金やビジネスが介在していないで、同じことが起こったら、
私はどう思うだろうと思ったんです。
「やっぱり、本当に申し訳なく思う。そして、誰に対しても二度とそうしたことがないようにすることで、その方の感じた心の痛みが無駄にならないようにする」というのが私の答えでした。
そして、世界でお金が必要なくなったら、もっといろんなことがシンプルに心からの行為になるかもしれないとさえ、思いました。
私、ヒーリングでお金をいただくことに疑問は感じていないし、お金は便利で
大好きなのですが、お金によって本質的なことが見えなくなってしまうこともあるのですね。
お金の話をするたびに、その正当性やすばらしさ、お金に対する罪悪感の意味のなさを、
力強く主張していたので、自分でも意外な思考でした。
「人に申し訳ないことをした→相手のことを思うと、そのことで心が痛む、お詫びをして、二度としないようにしよう→実際に行動に移す→終わり」で済むところを、あーでもない、こーでもない、
自分はお金の亡者になって道をはずしているかもしれないなどと、
無駄に自分を責めたりして、ネガティブ想念を宇宙に発し続けるのに貢献していました。
ですが、この無駄なネガティブ想念も、意味あることだったかもしれません。
というのは
、「ヒーリングにお金が介在しなかったら、私はどう振舞うのか?私はどんな風に感じるのか?」
と考えたことをきっかけに、ヒーリングの仕事に対して私の持っている、なんて表現したらいいのかな、ちょっと引いたところというのか、そうした部分がよく見えてきました。
ヒーリングを仕事にしているとエゴが「自分は特別な人間だ」と思うように誘いをかけてくることがよくあります。とても怖いことです。
お客さん=助けられる人/ヒーラー=助ける人という考え方もまったく好きではありません。
それは、助けられる側の人の力を軽視しているように感じてしまうからであり、
そして、、助けられる人を世の中に生み出してしまう可能性もあるかもと思ったりもするからです。
そして、私が助けているわけではなくて、結局はその方が自分で自分を救っているだけだもの。
だから、私は助けるという言葉は使わずに、促進やサポートという言葉を使うようにしています。
でも、こうした思考もすべて自分の恐れからくるのかもしれません。
自分が特別になりたいとひそかに強く思っているから、それを恐れる。
本当は自分が助けたのだと満足してみたいから、その弊害を極端に恐れる….というように。
そうした恐れがなかったら、私はどうするだろう。ビジネスではなかったら、私は私の前に現れた人とどのような関係を築き、どのようなものを宇宙に発信したいのだろう?
「人の助けになることを提供したい。もっと人に対してやさしい気持ちを持ちたい。」
そう思っていると認めることが、とても難しかったということに気がつきました。
あー、もう、こんなこと書くのは本当に恥ずかしいのです。
ここで自爆です。
でも、毎日、いろいろな不思議な人やいわゆるサイキック/ヒーラーさんあっているうちに、
私自身が癒されたというか、ほっとした気持ちになるのは、何気ない友人のやさしさだったり、旅先で声をかけてくださったおばさんの何気ない親切だったり、親が何もいわずに私に向けてくれる思いだったり、気持ちが何気なく通い合う瞬間だなと思うようになりました。
そうした何気ない人のやさしさに強くあこがれるようになったのです。
どっかのエンティティーがやってきて真にやさしい人間にしてやるかわりに、
仕事でヒーリングをできなくしてやるって言われたら、たぶん、そうしてもらうかもしれません。
なので、そうした自分をより見出したい、そして、それをヒーリングにも役立てたいと思うのです。
あー、結局、両方の決意を言っちゃった。
なんだか、新年早々、まとまりのない内容になっちゃったけど、
それは、なんだか、恥ずかしくてまとめられないのと、
まだ、自分の中がこの思いに落ち着いていないからかもしれません。
今回のセドナ滞在の前半は、友達の渡辺さつきちゃんと彼女のお嬢さんの真衣花ちゃんが一緒だったのですが、
さつきちゃんは、私のぶっきらぼうになれているとはいえ、
真衣花ちゃんに対してもおんなじ調子の私。
ああ、やばいと思って、「ごめん言い方きついよね、気をつける」と誤ったら、
「もう慣れました」とあっさり言われてしまう始末。
道のりは長いけど、一年あるからがんばります。
そんなわけで、今年は新しいサービスもスタートし、気持ちも新たにがんばりますので、
よろしくね?。






