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愛について

朝ジョギングをしていると、朝に吹く風に秋のさわやかさが混じってきたのを感じます。

ここのところ、走ると胸が苦しいし、身体も重かったのだけど、
今朝は、とーっても、空も風が気持ちよくて、胸の痛みもだいぶおさまって、調子が上がってきました!

走った後に、スイレンや木々をながめていたら、ものすごいいい気分。
ハートがじわじわと開いて、自分の中が、何かで満たされていくのが感じられます。
最近、身体が苦しかったのが、解放されていく感じ、あー、気持ちいい。

数時間後に瞑想していると、またもハートがジーンと開いて、じわじわした感覚に満ちてきます。
ハートが開いたら、その感覚をバーっと無限に広げちゃうってことを、私はよくやります。
エネルギー拡張型なので、仕事で瞑想のフィールドを作るときとか、ヒーリングするときとか、そんな感じでやることが多いの。

でも、今日は、それを全部自分の内側に向けてみました。

いかに自分に愛を向ける頻度が少ないかにはっとしました。
これを自分に向けるのが、自分を愛することの私にとってシンプルで大きな方法の一つだったんだな?、これを身体の部分に向けると、自己ヒーリングだよな?、なんて思っていると、

もっと大きくはっとしました。


あ、ああああああーーーーー、なんか勘違いしてたかも?。

「私の愛」ってないのかも?。

私が愛を感じているとき、その愛を知覚しているのは私の意識だけど、愛そのものは私のものでも、誰のものでもない。

大好きな人からの手紙の最後に all my love to you とかって書いてあったりしたら、ウヒヒと思ったりするのだけど、愛はあなたのもんじゃないと思う。
あなたが感じている愛ってことだよね。

でも、なんか、自分が愛を持ったり、誰かが愛を持ってて、それをあげたり、受け取ったりするっていうイメージってどこか、刻まれてません?

概念的には、宇宙は愛でできているとか、そうゆうの知っているけど、
なんか、いまいち、感覚的なレベルに落としこめていませんでした。

個のレベルでの愛と、普遍というかもっと広い愛って、究極には同じなんだろうけれど、
なんか、体験としてはどうも違いがあるような気がしてならなかったんだよね。
個のレベルでの愛を通して、普遍の愛を学ぶみたいなイメージもあったり...

でもね、個のレベルの愛って、わかりにくいってずっと感じてたの。

個のレベルだと、感情が絡むから、無条件って感覚がいまいちわからないし、
子供もいないし、動物さんとかもいないから、
親が子どもに持ったりするようなタイプの愛もいまいちわからない。
個のレベルだと、どうしても、感情のほうを激しく感じちゃうのよ。
それが、たとえば、喜びにしても、悲しみにしても、愛着にしても、寂しさにしてもね。
エモーショナルになりすぎちゃうの。
うまくいえないけれど、もっとばーっと広いフィールドの愛っていうか、
個々の感情が絡まないところでの愛のほうは、
ふわ?っと感じることはあるけれど、
なんかね、正直、エモーションを超えたところの個のレベルの愛の感覚が薄いから、広いフィールドに感じる愛も本物なのかなって、疑問符が付くことがときどきありました。

よく、「本当に愛があれば、見返りがなくても、それだけで満足」っていうでしょ。
なんか、それが、感情やドラマのベールが分厚くて、チラ見することはあっても、
全容はさっぱりわからない感じね。

ただ、スピリット的にはなにがどうであれ問題なんかないって思っているところがあるから、
まぁ、疑問符が付こうが付くまいがベストを尽くすだけって思ってはいたのだけど、
ときどき、気になってたのよね。

なんか、「個的なところで、しっかり愛について腑に落ちないと、人間として完成できない」みたいなさ。

でも、それは、私の愛っていうものがあって、それを自分が感じたい、って思っていたからわからなかったんだなって、気が付いた。
愛されていても、愛されていない気がしたりしたのは、もちろん、自分が持っている否定的な自己イメージのせいっていうのもあるんでしょうが、それだけじゃなくて、XXXさんの愛っていうのがあって、それを私に渡されている気がしなかったからって気が付いた。

誰かが私を愛していると感じるとき、私と出会うという体験を通して誰ものでもない愛を知覚しているってことなのかも。

そしたら、それは、誰の所有物でもないから受け渡しできるようなものじゃないよね。

愛を感じる対象に対してどう行動するかは、愛を感じていることとは、別の問題だと思う。

そう気が付くと、人生で起きたいろんなことが腑に落ちた。
そして、気持ちが軽くなった。
大げさかもしれないけど、呪縛から解放されたようなね。

自分には愛がないとか、あの人は愛情ぶかいとか、いろいろ思ったりするわけだけど、
愛がないとか言っちゃうと、なんか致命的な欠陥っぽく響くけど、そうじゃなくて、
知覚が鈍っているってことなんでしょうね。

こんな感じかな。
どこにでも存在する空気や風。
意識的になれば、それが存在することって、皮膚感覚でわかりますよね。
台風のときには、だれしもめっちゃあることに気がつくし、まるで真空にいるような静かなときだって、
身体を動かしたときに皮膚に触れたり、あるいは、自分から吐きだした呼吸によって感じるでしょ。
空気ってどこにでもあるけど、たとえば、皮膚病とか神経の病気かなんかで、
皮膚感覚がなかったり、めっちゃ厚着していたら、風の感覚って感じないよね。
それは、風や空気がないわけじゃなくて、知覚を閉ざしているってことです。
愛って、その風や空気のようなものなんじゃないかしら。

私の風とか、あなたの空気とかってないですよね。
それをあげるとかあげないとか、意味不明。
人工呼吸なんていう、またいろんな妄想をかもし出す(笑)ものだと、
あげる感があるかもしれないけれど、それだって、人工呼吸を施す側は吐く息を相手にあげる前に、誰のものでもない空気を吸っているわけですからね。

そして、私たちは、最後には、自分自身も空気でできている、それが自分を支えるものであり、自分を構成しているそのものだって気が付くのかも...


と、なんで、こんなこと急にやってきたのかしら?

誕生日だったしひさびさに渡辺さつきちゃんのスピリット・ガイドのチャネリングのセッションを、先日受けたんだけど、恋愛映画を見るようにとのアドバイスをもらったのね。

で、昨晩、見てみたわけです。

恋愛映画とか、興味ぜんぜんないから、何を見たらいいかぜんぜんわかりません。
でも、気持ちがあたたかくなるものがいいんだろうな、なんて思っていたんだけど、
私が選んだのは、これ、トゥー・ラバース

もう、そもそも、ホアキン・フェニックスが主演というのが、なんか、苦しい恋愛を予想させるのですが、なんか、やっぱり、こうゆうの選んじゃった。
でも、念のため、超軽そうなのも、もう一個保険で借りておきました。

そんでさ、いい映画なんだけど、見たらやっぱり苦しくて、
もう、見終わったらやり場のない苦しい気持ちにさいなまれたのよ。

ホアキン・フェニックスってさ、なんか、生生しい感じがするんだよね。
本当にありそうな生な狂気感を感じるの。
だから、ほんと、めっちゃ、刺さった。

今、調べたら、ドストエフスキーの『白夜』をモチーフにしているとか。。。
先に言ってくれよ(怒)。

そうゆう深刻なのじゃなくて、恋愛や女性性楽しむ感覚を深めるってコンセプトで
ガイドは言ってくれたんだと思うんだけどな...

やっぱり、自分らしさっていうのは、こうゆうときにも出てしまうものです(苦笑)。

で、このまま、寝ると、超やるせなさすぎるので、もう一本保険のほうを見ようと思ったんだけど、
1時すぎちゃうし、それは、ちょっと無理。

くそーっと思っているうちに、うたたねして、ねちゃった。

そんで、朝、走ったら、こんなことが起こりましたとさ。

いや、ほんと、何がどこに導かれているのか、先のことはわからないもんです。

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2012年08月20日 13:12に投稿されたエントリーのページです。

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