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許しのテクニックをついでにもう2つ/百個修行&○○さんは私です!

先週のあさいち(NHKの朝の情報番組)で、奥さんがだんなさんにイライラするのを解消する方法で、
精神科の先生が「だんなさんへのありがとうリスト」を作るということを言っていました。
感謝に思うことを、一つずつリストにしていくというものです。

たぶん多くの人が知っていると思うけど、これほんといいと思うよ。
「感謝リスト」とか「その人の好きなところリスト」とか。

私もやったことあります。
でも、もうちょっと激しいバージョンで....
ものすごい内容の罵詈雑言をえんえんと浴びせられるという体験をしたことがあるのです。
スルーさせられる相手だったら、違うアドバイスもあったのかもしれませんが、
いろいろやり取りしなければならない相手だったため「言わせておけ」という対応もできません。ヒーっ。

そのときに、私のガイドさんは私にこうアドバイスしました。

「まず、何か相手に返答をする前に、
その人についての好きなところを100個書きなさい。
それから、落着いて返事をしなさい。」

はっ?へっ?
百個。ワンハンドレッドっすか?
しかも、今、この状況で?


「自分に起こる現象はすべて自分のエネルギーの合わせ鏡。
罵詈雑言を言われるということは、そのエネルギーが自分の中に
あるからです。」っていうのは、何も無い平常時ならば、
さらさら口にできるし、
相手の立場に立てば、私がその人にとってものすごくひどい人間だということが相手の世界では起きているわけですから、
私の非もあるに違いないとも、思うのだけど、
罵詈雑言を浴びせれつつ、混乱と驚きとある種のわけのわからなさという恐怖の中では、これが自分自身の中から出てきてるなんてそうは簡単に思えません。
つまり、そうは簡単に許せません。

えーん(涙)と思いつつも、このまま混乱の中にいるわけにはいきません。
書きましたよ100個。
書いては瞑想、書いては瞑想。数日かかりました。


100個書き終えて、瞑想して落着いたところで、コミュニケーションをとりました。

たぶん、こうゆう流れだと、
「相手も落着いていて、いい関係になりました。」とか、そんなようなイメージでしょ。

でも違ったのよ。

その後もいろいろ、続くわけ。

私が「えーん(涙)なんで?ガイドさん、
あんたの言うとおり100個書いたけど、どうゆうこと(怒)」と言っても、
ガイドは、シラをきります(いえ、本当は”シラ”ではないんでしょうけど)。

それから1、2週間で、
結局、完全にコミュニケーションは破綻したのですが、
このときは、私はなんの食いも残りませんでした。
破綻ではあったのですが、私のほうは、
100個修行(勝手に名づけた)の成果で、最後のやりとりのときに、
感謝の気持ちを伝えて、コミュニケーションを終了しました。

お互いポジションが違うんだということで、自分の中では納得できたの。
ぶれなくなったというか。

なので、『ほぼ思考・行動・感情に影響がなくなる』という許しの一段階に、
大きな出来事のわりには思いのほか早く到達したわけです。

その数ヶ月後、また、その奥にある許しのテーマがやってきたりするわけですが、
それはそれで取り組めばいいわけだし。

その次にくるテーマは、「それも自分の一部である」ってやつ。
罵詈雑言、妄想。
そうしたものが私にぶつけられたことは、私のエネルギーの中に同様のものがあるはず。
それがどんな形のものかはわかりません。
でも、自分の中の同様のエネルギーを受け入れ、自分を許していくというプロセスを体験します。

混乱の出来事の渦中にこれに取り組むのとは違うから、
イメージよりか厳しくないですよ。
自分が少し客観的でいられるからでしょうね。

だから、許しに段階があるのかも。

渦中の許し。→少し冷静になって出来事から距離を置けるからこそ可能な許し。

「それも自分の一部である」は、一度では終れなくて、
ときどき、気になったときに、取り組んだりするけれど、
振り返って、超面白い体験だったなぁ、と笑える時期はすぐにやってきましたよ。

ちなみに「それも自分の一部である」のやり方は、
「xxxさんは私です」とイメージして、自分の中をその人のエネルギーで満たして、
想念観察するというもの。
想念観察クラブでは、「○○さんは私です」という名前で通っている
最強の許しのテクニックです(笑)。


自分に近しい人、大切な人に許しがたい感覚を持っている人がいたら、
『100個修行』と『○○さんは私です』とってもお勧めです。