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マジ登山@八ヶ岳

やっほー、八ヶ岳にいってきました!

生まれて初めての山小屋体験。
仲良しの山好きご夫婦に誘われての初体験。


dragonfly.JPGこっそりとんぼちゃん。

これまで山登りといったら、高尾山、セドナのあちこちの岩山、がんばって三峰山の霧藻ヶ峰。
登山というよりは、ハイキングだね。

あたしはめっちゃ初心者で、いったい何を持っていけばいいのかさえもわからない状態でしたが、お友達が、立派な旅のしおりなんか作ってくれて、それに書いてあるとおり、荷物をつめて、それに書いてあるとおりの電車に乗ったら、あっとゆう間に八ヶ岳。

一言でいうと、「行きはよいよい、帰りは怖い(笑)な2日間」。
とーっても、楽しかったけどね。

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あたしたちが目指したのは東天狗だけですが、
初日はバスにてまず稲子湯さんという温泉に向かいます。

温泉につかったあと、
それから2時間ぐらいのぼって、すぐ山小屋(女子に大人気のしらびそ小屋)で一泊。

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翌日は、天狗岳頂上まで行ったら、下山。頂上から2時間ぐらいで黒百合ヒュッテで昼ごはん。それから、また、1時間30分ぐらい下山して、唐沢鉱泉でお風呂。
というコース。

ええと、よいよいは、天狗岳頂上まででした。

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二日目は登りも下りも大きな岩だらけ。
あたし、丈夫なほうではぜんぜんないのですが、岩を登るのは割りに好きなので、
登りは好調でした。
セドナの岩山で鍛えたせいか、岩萌え(燃え)というか、どきどきダッシュしちゃうぐらい。

ところがね、下る段になって、調子が狂い始めます。


前日の夜に雨が降って、岩がつるつるしていたり、岩と岩の間がぬかるみになってるんです。すべるのよ。セドナの岩山で鍛えているけれど、あそこって岩の大きさが非常に大きいし、基本、乾燥しているから、歩きやすいのね。でも、ここの岩は、大きさがそんなにないから、ちいさなアップダウンを繰り返しながら、足の置き場が小さい岩を次次とクリアしていくといことになるのです。
これは疲れる。
そして、登山靴じゃなくて、ローカットのハイキングシューズでいどんだものだから、足首がくるくる動いて、ふらつくのですよ。

まじ転びしました。いい子だから泣きません。軽症ですんだからよかったけど、途中歩きながらヒーリングしてて、ゲップで痛みをリリースしながら歩いてました。

<山に連れて行ってくれたお友達とうのはイラストレーターのいなざわ画伯。
画伯がこの瞬間をイラストにしてくれました。
もしよかったら、詳細な山日記とともにお楽しみください http://faiblog.blog25.fc2.com/blog-entry-176.html

そんなこんなで黒百合ヒュッテまでたどりついて、ほっと一息昼ごはん。
あとは、軽く1時間30分下れば、温泉でフィニッシュです。

のはずが、ここからがすごかった。
苔むした岩に昨晩の雨。ところどころに歩きやすいように、丸太がかけてあるだけど、その丸太も雨や泥でぬれていて、余計滑ります。
つまり、どこに足を置いてもすべるという究極の選択状態。


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いや、笑いごとじゃなくて、本当に危ないよ。ここ。
下山の道も結構急なのよ。基本、岩の上を歩いていくから、やっぱり足の着地可能面積は小さいのね。で、くだりの坂に岩がのっかっているから、そのちいさな着地面にも傾斜がかかってるわけ。
で、むやみに足を乗っけると、苔と雨でつるつるしているから前にすべって転びますよね。でも、かかとに体重を乗っけると、これまた、後ろに転ぶので、もっとあぶない。私、どうしたらいいんですか?

ネイティブ・アメリカンとか、先住民族のシャーマンたちは、ものすごい知覚力をもっていたそうです。森とかってさ、いろんなものがあるじゃない。たくさんのものに一度に気ずきながら、森を歩いていたわけです。

そんなことを思い出しながら、ものすごく口数少なく(ここだけ、シャーマン風)歩いていました。

この最後の下山の時間は、普段使わない集中力を駆使しました。あたし、ほんと、集中力がナッシングなんですよ。普段は。でも、危ないから真剣勝負。

すると、シャーマン風にいままで見えてなかったものが見えてくる。
いままで気が付かなかったことに気が付いてくるんです。
すべる岩が3つと細い丸太が3本という選択肢しかないように見えるけど、
大回りしたら、ちょっと土ぽいところで、ぬかるみではないところが出てくる場所があったりします。
そうしたところでは、その道をチョイス。ほんの5歩か、ぜいぜい10歩程度なのですが、これでも、7時間近く歩いた後では、だいぶ休める感覚になります。
でも、大回りの道を迂闊に選択すると、その先が行き止まりになっていて、結局引き返して岩の上を歩きなおさなければならないので、余計疲れます。
だから、その先に道があるかどうかも気づく必要があったりします。

本気でこれをやってたら、だんだん見えてくるのよね。

そうやって歩いてて思ったんだけどね、自分の人生を自由意志で選択するとかって言うじゃない。すべては自分の選択次第です!とかって。
確かにそうなんだけど、ちゃんとフォーカスを当てていないと、本当はいろいろある選択肢に気が付かなくて、自由意志で選択するっていう感覚とはぜんぜん違うことになるんだなって思いました。
選択肢が1つしかないとしたら、きっと、自由意志で選択してるってきっぱりと言えませんよね?
そんな気さえしません。
選択肢が2つでAかBかしか選べないと感じている状況での選択だって、あまり自由意志じゃないんじゃないかなぁ。
で、結構、選択を迫られるとき(迫られていると感じるとき)って、AかBかみたいな形で考えることって、多くないですか?
就職か進学か、家庭か仕事か、お父さんをとるかお母さんをとるか、私と仕事どっちが大切なの、とかね(笑)。

気づきを拡大したら、もっともっとたくさんの選択肢が見えてくる場合も多々あるんじゃないかしら。その中から選ぶのは、自由意志を使ってるって感じがします。

だから、私たちが授かった大切な自由意志をちゃんと機能させるには、気づく力をつけるってとっても大切なのかも。

選択肢に気づけなかったら、それしか選べない。これって、ぜんぜん自由じゃないもの。

そして、自分の固定した見方で世界を見るから、特定のものしか見えてこない。気づきが限定されてします。自分の見方を広げていく、そして集中する。そうしたことが有効なのかもしれませんね。

とりあえず、無事に帰宅!

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2012年08月08日 22:22に投稿されたエントリーのページです。

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