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2006年11月 アーカイブ

2006年11月03日

ブログのお引越し

ブログをこちらに引越ししました。

過去のブログも連れてきたのですが、
コメントさんjは連れてくることができませんでした。
コメントしてくださったみなさま、本当にごめんなさい m(_ _)m。

これにこりず、新しいブログもどうぞよろしくお願いします!!!

Love (G のほうの)

「レスト、デート、コンサート」のコンサート編です。

こないだのお休みに大好きなG.Love(アメリカ人のミュージシャンの名前よ)の
ライブに行ってまいりました。
私はタイミングが少々世間さまとずれているのか、
お気に入りのミュージシャンって、
好きになった時点でお亡くなりになっているか解散しているかのどっちかなの。
そんななかで G.Love は数すくない現役でご活躍のお方。
そんなに真剣な音楽好きでもないからアルバムを全部持っているアーティストも少ないけど、
G.Love のは全部持ってます。

そんなに大好きなのにライブを見たのは今回が初めて。
ファンになりたてのころは経済的に余裕がなかったのよ。

あー、しかし、ライブに一人で行くなんて、何年ぶりだろう。
ひょっとして13、4年ぶりとかかも....
予約のときに、2階の椅子席と、1階のスタンディングを選べる形式でした。
昔だったら、ライブで椅子席に座るなんて考えられなかったのに、
今回はちょっと迷って椅子席に。
立ちっぱなしはつらいじゃん。寄る年の瀬には勝てません。

久しぶりのライブ、いやー、楽しかったわよ?。

リコネクティブ・ヒーリングを始めてから、
以前よりも大きな音に敏感になっていたので、
そうした意味でもライブを避けていたのですが、
昔は、パンク・バンドのライブで最前列でスピーカーの前で見てたりして、
耳が壊れそうになっていたけど、Gloveはそんな爆音ではなかったので、
心配無用でした。
(4人編成のバンドの音よりも團長のエールのほうがよっぽど爆音です。)

椅子席だったものの、結局、ほとんど立ちっぱなしでのりのりで見てました。
途中、GLove さんが、一回の客席に降り立ったときには、
2階席からダイブしようかと思いましたよ。
でもですね、
パンクのライブではないことを思い出し、
するっていと、
ダイブしたとたん1階のお客さんがさっと脇へどいて、
わたくしめは地面にたたきつけられて骨折し、
翌日の名古屋出張のリコネクション(両手をいっぺんに使うのよ)ができなくなる恐れがあるということに
運良く気がついて、やっとのことで思いとどまりました。

そんなGLoveミーハーなあたし。
実は、GLoveさんに触ったり、話しかけたりしたことがあります。
ストーキングとかではないですよ。


今から2年ほど前、日々翻訳の仕事をしている頃のこと。
私は基本的にコンピューター関連の翻訳を専門としていたのですが、
音楽雑誌のお仕事をしているお友達にお仕事をいただいて、
外国人アーティストなどのインタビューのテープおこし(英語のテープを聴いて、
日本語に翻訳するの)や、超簡単なインタビューの通訳をお手伝いさせていただいておりました。
そもそも、あたしが英語に興味を持ったのは、外国の音楽が好きだったからなのよね。
なのでミュージシャンの通訳は超ミーハーな感じで憧れていたお仕事。

たとえ直接のインタビューではなくて、テープおこしだって、
憧れのお仕事をやらせてもらっている喜びに打ち震えておりました。
締め切りの恐怖にも打ち震えていたので、震えてばっかりです。

そうしたお仕事をいくつかいただいて、ぶるぶると震えてばかりいた時代に、
「G.Love さんのインタビューができたら、もうこの業界から引退する」と
いいふらかしておりました。

もちろんこんな恥ずかしいこと、仲の良いお友達だけにですけどね。
だって、セミナーで私が英語をしゃべっているのを耳にした人ならわかると思うけれど、
私の英語ってフォーマルな通訳なんてできるレベルではないのよ。つたなくって。
(決して自慢ではございません)。
なので、本当に冗談でそんなことを言っていたんです。
「G.Love にインタビューできたら、
インタビュー直後に G.Love が座っていた椅子に座り、
そのぬくもりとともに引退する」
って、うわごとのように、というか正真正銘のうわごととして言ってたんですよね。

ところが、「ひょうたんからこま」ってこのことかしら。
本当に G.Love さんのインタビューの仕事がきちゃったんです。
わたしのうわごとを聞き飽きていたお友達が、
とある編集者の方に私を紹介してくださったの。

質問はあらかじめ決まっていて、それをGに質問して、
テープに録音して自分で訳すという仕事。
これならばできると思いました。

というわけで、インタビューしちゃったんですよ。

編集者さんも同席していて、本当は編集者さんの質問を通訳するということだったのですが、
時間も限られていたし、勝手にやってよいと言われて、
編集者さんそっちのけで20分の短いデート、いや、その、インタビューを堪能しました。

こんな感じ。

インタビュアーGパン「この曲のこのパートにはどんなエフェクターを使っているんですか?」
Gパンの心の声「G.Love さんは、最近離婚なさったそうですが、
日本女性との再婚についてはどう思われますか?お子さんがいらっしゃるそうですが、
私は覚悟はできています!!!!」 

で、インタビュー後のお写真撮影のときには、ギターを持った撮影だったので、
間近で生演奏が聞けちゃった。ラッキー。
しかもなぜか、「今日学んだ新しい曲を披露するよ」とか言って、
ハッピーバースディーを間違えつつ爪弾いてくださるので、
どさくさに紛れてそれにあわせて歌を歌ってみたりもしたりして。
はぁ。夢のようなひと時だったわ。

そして、家に帰ってきて、必死になってテープを起こしました。

でもですよ。
この経験をとおして、やっぱり、私は通訳は向いていないし、
自分の道ではないと痛感しました。
何か失敗をやらかしたというわけではないのですが、
私の英語力や資質にあっている仕事ではないことがよくわかったんです。
ミーハーな気持ちでやっていけるものではないと実感したのです。
天から「これで、もう十分でしょ。」って声がしたっていう感じかしら。
なので、このお仕事をきっかけに、本当にミュージシャンの通訳に対する
憧れを手放しました。
それまでは、なんとかこの方面の仕事の量を増やそうとちょっとずつ努力してたのよね。

でも、本当の本当に手放しました。
その後、一回だけ、大きなロック・イベントで簡単なご案内のお手伝いはしましたが、
それっきり通訳のお仕事はしていません。

G.Love さんの通訳をしたのは 2004年の6月頃だったと思います。
その年の春にリコネクティブ・ヒーリングを受けて、なんだなんだこれは?と興味を
掻き立てられ、『リコネクション』を取り寄せ、ちょうど読み終わった頃だったと思います。

そう考えてみると、この流れもリコネのおかげなのかも。
今まで気がつかなかったわ。
当時は、人生を変える力があるセッションだなんてぜんぜん思ってなかったし、
私自身に何か作用しているなんて思わなかったもの。

実は、今年の春にも、同じ編集者さんからG.Love さんの通訳を依頼されました。
ものすごいファンだったのを覚えてくださったんです (大感謝です)。
ちょうど、インタビューの時間はセッションは入っていなかったのですが、
翻訳の時間などを考慮に入れるとちょっと無理。
というか、長いこと英語をしゃべっていなかったのでちょっと無理。

いいえ、私はリコネのセッションを愛してます。
そうなの。リコネ LOVE なので。浮気はしませーん!!!

2006年11月17日

焼き鳥とBeatles (その1)

みなさん、お久しぶりです。

研修とか大念願の家の大掃除とかしていたら、
2週間も空いちゃった。

と思ったら、今日のブログはとっても長い....
いや、その、いつも長いよね....
つまり今回は異常に長いので数日にわけることにしました。
なので、『その1』でございます。

あ、1月のスケジュールもそろそろ発表いたしますので、
待っていただいている方、すみません、もうしばらく (本当にもうちょっと)
お待ちください。

というわけで、その 1 です。

私は焼き鳥デーというものを設定しております。
毎週末に『一人』で近所の焼き鳥やで焼き鳥を食べます。
これが焼き鳥デー。
もちろん食べなくもいいわけなんですが、なぜかむしょうに食べたくなるのよ、その焼き鳥。

ごく普通のチェーン店系の焼き鳥やさんなのですが、
なぜか、病みつきになるのです。これはたぶんあたしだけではないはず。
だって、そのお店、週末はいつも満席で入れないことも結構あるもの。
お兄さんが真剣なおももちでパラパラと振りかけているあの塩の中に、
何か中毒性の物質が含まれているのではないかと私はにらんでおります。
そうにらんではいるものの、私はもう手遅れなので、毎週食べにいくわけです。
店内にはいつもオールディーズの音楽が流れていて、
胸キュンな感じでガブッと焼き鳥にくらいついております。

でも、こんな体になったのは、塩の中に含まれている特殊な物質のせいだけではありません。
この焼き鳥やさんのことが大好きになった理由がもう一つあるんです。

そもそも、初めてこの焼き鳥やさんに入ったのは、
まだ、契約社員という形でフルタイムで在宅の翻訳をしながら、
夜や週末にヒーリングの仕事をしていたときのことでした。

昼間翻訳をし、夜遅くにヒーリングが終わったある日、
ビールでも飲んでほっと一息つきたかったのです。
で、うちのすぐ近くにあるその焼き鳥やの前を通ると、ちょうどドアがあいて、
女子一人でもはいってもおかしくない感じだったので、そのまま吸い込まれるように中に入り、
ビールを注文しておりました。

焼き鳥は普通においしかったです。
家から近いし、とっても便利。

それからは、金曜の夜のヒーリングから帰ってくると、焼き鳥というコースができました。

そして気づいたときにはすでに中毒です。
気をつけてね、みんな。

昨年、インストラクターとして初めてシータヒーリングのセミナーを開催し、
無事終了した後にもやっぱりこの焼き鳥やさんに一人で行きました。
生徒さん全員がヒーリングを無事習得でき、なにごともなく終了したお祝いです。
(そして、もちろん、中毒だからです。)

あれ、今日はビートルズがかかっている。

その日は、あたしの大好きなビートルズばかりかかっています。

次回に続くわよ...

2006年11月18日

焼き鳥とBeatles (その2)

《というわけで、その2です。》

あたし「お兄さん、なんで今日はビートルズだけなの?」
焼き鳥のお兄さん「いつもオールディーズなんで、たまには気分変えようかなと思いまして….」

ふーん。

焼き鳥をムシャムシャ食べながら、私はこんなことを考えていました。

はるか昔、もう17年も前のこと (うわーっ)、某心理学研究所に通いはじめました。
そこでは、人の心を扱う仕事は文字どおり命がけだということを見せていただきました。
当時はヒーリングはもとより、心理療法さえポピュラーではありませんでした。
そうゆうものに通っているとか、興味を持っているなんて気軽には言えない雰囲気が
あった時代だったような気がします(私は平気で言ってましたが・・・)。
心理療法の現場で、
顕在意識ではまったく思っていもいないトラウマや感情が無意識の中から表れてくる様子を見て、
魔法みたいだなと思ったものです。
魔法みたいでそれでいて知的なセラピーという仕事に最初はとっても憧れました。
ですが、当然、ご自身もそしてセラピストにとっても非常にヘヴィーな状況のク
ライアントさんもいらっしゃいます。
そうした人が立ち直っていくのをお手伝いしている先生を見てとても尊敬をしていたものの、
憧れでできるようなものではない、人のために命をかけるなんて私には無理と思って、
その憧れは半年ともたず跡形もなくさらっと消えていきました。
つい最近まで自分のことでせいいっぱいでしたからねー。
そんな私にはどう考えても無理でしょ?。
人ってとっても強いものだと思いますが、それと同時に本当に繊細でよね。
そんな繊細なものにかかわれるような私ではなかったのです。

これは本当にリコネクションの進化促進の結果だと思うのだけど、
背中を押されるようにして気が付いたらヒーリングの仕事をはじめていました。
本当に決意した瞬間とか、将来計画とかなかったもの。
あれれー、みたいな。
とはいうものの、心理学の研究所時代に人の心を扱うことは私の手に負えるようなものではないと思っていた経緯があるので、いつもいつも、私は人に害を与えていないだろうか、
人に害を与えることに加担していないだろうか、お客様にそして自分自身に対して
嘘をついていないだろうか、これでいいのかしら、と自問自答をくりかえしていました。
簡単にいっちゃえば、『本当にあたしがやっていいの?』という疑問です。
確かに、私がかかわっているヒーリングは、私が学んでいた心理療法ほどは、
シャープに人の心の中にと入っていくということはありません。
特に、リコネクティブヒーリング/リコネクションは相手のことを
なーんにも知らなくてもというか、知らないほうがニュートラルでよいぐらいなのですから。
とはいうものの、ヒーリングという場にいる限り、人の心に触れるということは頻繁に起こります
(本当はどんな仕事だって、そうですが….)。
なので、いつも心には『本当に私で大丈夫か?』という? マークがありました。

ビートルズがかかっていたその日も、
セミナーは無事終わったものの、
『ヒーリングを習得することが、本当に受講生さんたちにとってベストなことだったのだろうか?』とか、
『「私は特別、あなたは生徒」ではなく「私もできるのだから、あなたもできる」というスタンスを
貫いただろうか?』、
『教えることによって、私は受講生さんをを弱めたり、変なものにかかわらせたりしていないだろうか?』、
『私のエゴは増長されていないであろうか?』
と、いろいろな思考がわんさか出てきていました。ヒエーっ。
でも、こうした思考を一言でいっちゃえば、
『なんであたしなんかがヒーリングなんてもんを教えてるの?』ってことなんだと思います。

こんな思考にグルグルと巻き込まれて、
ビールはうまいながらも頭はグルグルのときに聞こえてきたのは・・・・

♪You say you wanna0 revolution.....

というジョン・レノンの力の抜けた声。


《しつこく、次回に続くわよ...》

2006年11月19日

焼き鳥とBeatles (その3)

《その2からの続き,,,,,》

一瞬のうちに私の中が安堵感で満たされました。ふわーん。
お口の中に焼き鳥の肉汁が染み渡るように。。。。

「ああ、OKが出た。」

そう思いました。

もちろん、この先もずっとOKとか、そうゆうことではないのだけど、
とりあえずは、今のところは、おおむね『よし』って、宇宙意識とか存在の根源とか、なんでもいいのですが、
そうゆうものから了解がでたような気がしたの。

これは、17年どころじゃなくて、20年も前 (えーん、えーん (T_T)) の高校生のとき、
激しくあたると評判の占いのおじさんが札幌にいて、そのおじさんに鑑定してもらったことがあります。
そのとき、おじさんに将来何になりたいのか聞かれて、私、迷わず、こう答えました。

『革命家』

いや、その、ありえないよね、この回答。
文字にすると、そうとうこっぱずかしい。
当時は 80年代ですよ。
文字にするとっていうか、音声でもこっぱずかしいよね。「かくめいか」。
なんか、もう、時代錯誤っていうか、いいわけのしようのない恥ずかしさ。
このことは、マジで20年間封印してたわよ。だって恥ずかしいもん。

でも、そのときのあたしは本気で、できれば、そうしたことをしたいと思って、つるっと言っちゃったのです。
国に対して闘争を起こそうとかじゃなくて、とにかく永遠に戦争がなくなればいい、
戦争とかで死にたくない、そうしたシステムを実現するために活躍したい。
そんな風なことをこっそりと夢見てたんだと思う。
もちろん、こんなこと、普段は具体的には考えていなかったし、
お友達にも言ったことありません。
こんな発言しちゃったのは、
もちろん、Beatlesの中でもジョン・レノンが大好きだったので、
その影響だということもできるし、
心理学的に見地からは、自分の育った環境が気に食わないから、
自分の不幸を環境・社会のせいにして、それを変えたいと思ったということもできるよね。
あとは、ニューエージ的には前世でなんかそうゆうことにかかわってた、とかって説明もありかも。
そんな風に理由は、いろいろあるのでしょうが、とにかく、かなり本気でそう言ったのだけははっきりと覚えているのです。

で、そのあたると評判の占い師さんいわく。

『なれますよ。非常に素質がある。すばらしく向いている』だって。 <おい、何いってんだ>
『ただし、本気で勉強して、本気でとりくまないと、本当にだめ人間になる』いう釘刺し付きで。

なんか、田舎の女子高生とプチ都会の占い師の会話とは思えないよ、これ。
でも、二人とも相当シリアスに話していました。はたから見てたら相当不思議だろうな?。

《もっとしつこく続きます》

2006年11月28日

焼き鳥とBeatles(その4) - 最終回

《その 3 からの続きです》

そもそも「革命家」っていっても、どうやってなっていいかもわからなかったし、
テレビで昔のニュースが流されることがあるけど、
そうゆうので見かける革命家な人たちはそうとう怖くってあまりお近づきになりたくないし。
という感じで、この占いの後は、ふつ?の高校生らしく、家庭の混乱とか、受験とか、
学校の出席日数が足りないとか、一家離散とか、浪人とか、失恋とか、泥酔とか、いろいろなことで、
革命のことはすっかり忘却のかなたに。
大学に入ってからは、まず自分のやりたいことが何なのかわけがわからなくなっちゃって、
最終的には革命どころか自分が誰なのかさえさっぱりわからなくなって困ってしまったので、
心理学を学び始めました。
そんなこんなで、いわゆる自己探求の長?い旅が始まったのでした。

そして気がついてみると、ヒーリングの仕事をするようになっていました。

歴史を見ても平和な社会を作ろうという試みがつぎつぎと失敗していますよね。
自己探求の旅をしているうちに、ここ数年、平和な社会を望むなら、
まずは自分の心の平和からしかないと心から思うようになりました。
そうゆうことは、ずーっと言われていたんだけど、なんかきれいごとのような気がしてたのよ。
自分が平和になっても、まわりに苦しみや騒乱があれば、自分もその苦しみに共鳴して
平和ではなくなるかもしれないけれど、
私が完全に責任を持てるのは自分の心の平和だけだもの。
だから、まずはできるとこと、自分からです。
確かに、社会への働きかけも重要だけど、それに心の平和が伴っていなかったら、
やがては失敗するんじゃないのかなと思うのよね。
しかし、自分の心の平和っていう最小単位にさえ責任を持つのも簡単ではありません。
私も、日々、失敗してばかりです。
でも、だれかが有名な人が「成功し続けるまでやり続ければ、失敗なんてない」ってことを言っていたような気がします (わー、すいません、引用が超あいまい)。

心の平和を目指すヒーリングを自分の仕事にするってことは、
私にとっては「革命家」になるってことなんだって、焼き鳥を食べながらはっと気がつきました。
「害を与えない自分になること。」これが私の革命なんだって思ったのよ。
(別の言い方をしたら、これまでも、そして今もなおいろいろと多くの害を与え続けてきているので、
「害を与えない」なんてあたし的にはまさにレボリューションってことでもあるんだけどね(汗;))

というように、いろんなことがパーッとつながった瞬間だったのです。
それで、とりあえず私はこの方向でいいのかなって
思ってしまいました (案外、単純)。
もちろん、すべてが私の勝手な思いこみでしかないのですが....
でも、焼き鳥やさんにいたほんの一時間たらずの間に何百曲もあるビートルズの曲の中から
レボリューションがかかる確率はあまり高くないはず、
そして、あれから数ヶ月たちますが、それ以来、そこでビートルズがかかったことは一度もありません。

なんか、こうやって書いちゃうと大げさな感じになってしまうけど、
とにかく一瞬のうちに、悩みモードから「明日もがんばろう!!!」っていう
焼き鳥がおいしく食べられるモードに入りました。

もちろん、そのときにジョン・レノンさんがくれた安堵感にず?っと安住している
わけじゃないんですけどね....
そのときにやっていたことで、やっぱり害になりそうでやめちゃったことも多々あるし 
(すみませ?ん)、
自分ではそうと気がつかずに害を与えちゃっていることもあるし...
お客様にもあれこれを不快な思いをさせてしまったり、普段でもイライラしちゃったり。
ゴキブリにがんつけてしまったり(あっさり負けて、岡田邸に侵入されました)。

私の中でいろんなことがつながった場所。それがこの焼き鳥屋さんなの。
だから、お気に入り。
一人で通いつめるさびしい中年の女子と思われてもいいの。
最初は、本気でこれを気にしてたんだけど、そのうち、やっぱりどうでもよくなっちゃった (笑) 。
これもリコネクション効果かしら? (笑)
でも、注文するとき「いつものでいいですか?」って言われると
やっぱりちょっとはずかしくて顔を赤らめがち….誰も見てないけど...,.

とにかく、とうぶんは、焼き鳥を食べながら、あたし自身の革命にチャレンジし続けるわよ。
ヤーっ (掛け声)


おしまい

About 2006年11月

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