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セドナ日記その5 (神聖幾何学セミナー1)

戻ってきておよそ一ヶ月。しつこく続いていますセドナ日記。

今回のトピックは、AYAの神聖幾何学初級特別集中セミナーです。

『神聖幾何学』という言葉を口にすると、「興味があるけれど、難しそう。数学は苦手」という反応が非常に高い確率で帰ってきます。私も、その反応を返した一人でした。

このセミナーを主宰したモーニングホープさんから通訳のお話しをいだだいたときも、ちょっと慎重になりました。

ミスティカル数秘術を学び始めた当初から、ノボから「ミスティカル数秘術の基礎が神聖幾何学というわけではないけれど、根本は同じもの。」と教えられていました。
確かに、どちらも、宇宙/自然の成り立ちや、宇宙のありかたを説明したりするものです。
その根本が同じというのは当然といえば当然。
ミスティカル数秘術の解説書というのはノボが最近書き上げた著作以外にありませんが、ミスティカル数秘術を学ぶのに役立つからと、ノボと仕事をし始めたときに勧められた書籍も神聖幾何学についての『A Beginner's Guide to Constructing the Universe: Mathematical Archetypes of Nature, Art, and Science』でした。でも、なかなか、自分の中で、神聖幾何学とミスティカル数秘術の二つがきれいに結びつかなかったのよね。

通訳のお話をいただいたときに、師匠のノボに相談しました。
「大丈夫、神聖幾何学の基礎はわかっているし。細かいことは心配せずに、AYAの情熱がみんなに伝わるようにお手伝いしなさい。いい、チャンスじゃないか」と、背中を押されました。
ノボは神聖幾何学を習うなら、ぜひAYAからと絶賛しています。

AYAが話し始めると、私も彼の喜びにあふれた無邪気な情熱の中に入っていけました。入るとか入らないとかじゃくて、自然と引き込まれてしまうんです。そうした魅力があるんですよね。
彼に教わると、神聖幾何学が難しいものなんて、ちっとも思えません。幼稚園で楽しいことを教わっているような雰囲気なの。
AYAの中にあるあふれんばかりの情報をとにかく情熱にまかせて日本語に置き換えていたので、細かい内容を覚えてはいないのですが、確かに、思いのほか私、しらずしらずのうちに神聖幾何学のことを理解しはじめていたんだなぁと、感じながら通訳をしていました。

さらに自分の中でミスティカル数秘術でいう自然/宇宙の動きについての理解も自然に深まります。
たとえば、ミスティカル数秘術では、『比率』という言葉が何度も出てくるのですが、長いことピンときていませんでした。

それが、AYAセミナーの一番最初のところで、すっと自分の中に入ってきたんです。

神聖幾何学の中では、黄金比というのがとっても大切にされています。
PHIってやつですね。最も美しい形を作る比率は1:1+√5/2だそうで、
これを小数点の近似値で表すと1:1.618なんです。
そして、宇宙のいたるところにこの黄金比を持ったものが存在します。
今、私たちが目にしているもののなかで、
それが一切使われていないものを見つけるほうが難しいかも。

で、私が感動したのは、この比率ってことの持つ意味。
私は1.618とういう近似値が結構頭に残っていて、気がつきずらかったのだけど、
比率っていうのが味噌なの。

比率だから、1.618あるいは:1+√5/2だけでは存在しえません。かならず、相手が必要です。
宇宙のすべてのものが、「自分そして相手があり、そして全体がある。」という中に存在しているということなの。
自分だけもありえないし、相手だけもありえないし、全体のみというのでもない。
そして、自分だけのとき(1の部分ね)よりも、相手を含んでいるときのほうが常に大きなものになります。
あれ? あたしがここに書くと薄っぺらに聞こえちゃう?

やっぱり、ノボやAYAのような人たちのいうことって、彼らの深い理解のエネルギー、そしてパッション、思いやりがあってこそ、私たちのハートにひびき、腑に落ちるんでしょうね。

1.618が近似値で割り切れないというのもまた私のハートをわしづかみしました。

ミスティカル数秘術で、なかなかわかってもらいにくいなと感じているコンセプトが、
「宇宙はなにも決まりきっていない。固定されていない。定義されていない。常に拡張する動きの中にある」ということです。頭ではわかっていても、ついつい定義を求めてしまうものです。
数秘術なので、もちろん基本的な計算はあるのだけど、それすら、絶対にこうでなければならないというガチガチに固定された計算式ではない感じなのです。
私自身、それにずっとストレスを感じていました。計算式がきっちり決まっていたら簡単だものね。
でも、宇宙は、常に動きの中にあり、かならず例外というのが出てくるの。だから、近似値なのです。
これまた、私が文章にしてしまうと薄っぺらだなぁ。

私、どちらかというと、多様性とか、例外とか、いやだったのです。これはこうって決まってたほうがすっきりするというか、「宇宙が法則どおり動いているなら、なおさらそうだろう」ぐらいに思っていました。でも、AYAの話を聞いていて、ああ、例外もウェルカム感覚が自分の中に芽生えたのを感じました。
もともと、私の表面意識がウェルカムだろうが、ウェルカムじゃなかろうが、
私は常に例外を含む存在であり、その中で生きているので、意識は受け入れていなくても、本当は常に受け入れ続けていたんだけれど、自分の全体でそれにはじめて同意したって感覚かしら。
ノボは、これまで、どれだけわからずやの私に忍耐強く教え続けてくれたことか。

<続く>

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2009年06月08日 11:35に投稿されたエントリーのページです。

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