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セドナ日記(2010夏) アーカイブ

2010年06月03日

セドナ到着/瞑想会感想/6月のエネルギー

セドナからこんにちは!

昨日、セドナに到着しました。

ホオラウリマ ポノ講座は17日からなので、それまでは、
のんびりモードなので、普段なかなかできないこと(じゃなくて、やろうとしないことですね...)をいろいろやってみようかななんて思ってます。

前回と同じ ここ にとまっています。
本当に安全で快適な家を絵に描いたようなお家で、どこかに泊まりきたというよりも、
ああぁ、やっとかえってきたなぁなんて気持ちになれるお家なの。
出発前は、思いのほかばたばたと予定が入って、おかげさまで忙しくさせてもらっていたので、
旅先なのに、このほっとする感覚は、本当にありがたい。

ところで、先日のウエサク満月の5月28日は満月のハートの瞑想会でした。
今回もたくさんの方に参加していただき、パワフルな瞑想会になりました。
スカイプの音声が途中で不具合になってしまうというアクシデントがありましたが、
(スカイプ参加の方、ごめんなさい)
エネルギーはとっても強かったように感じます。

でも、なぜか、瞑想会の翌日、突然、気分がとってもダウンしたんです。
自分がいかに人を傷つけて生きてきたのだろうって、そんな感覚が湧いてきて、
ごめんなさいと悔悛な私になっていました。
とってもダウンってどれぐらいかっていうと、涙が出てくるぐらい。
当然ですが、正直、とまどいました。なんで、こんな気分が悪くなるんだろう???
パワフルな瞑想だったと思うんだけどなぁ。

おかしいなぁ。

その日の夜、仕事の関係でサイキックな友人にあうと、
「あれ、歩ちゃんどうしたの?なんか、波動がいい感じに大きくなってるよ」
「あれ、ってあたしのほうが言いたいです。どっちかっていうと、きょうは気分が滅入っているんだけど...」
「ああ、そうなんだ。たしかに、肉体は疲れてるけど、エネルギーを見ちゃうから。そっちのほうはいい感じだよ」
「...」

翌日は起きると、元通り。というか、よりさっぱりしていました。

その日、28日の瞑想会に参加した方からメールが来ていました。

その方も、瞑想会の翌日は、なぜか感情的にとてもつらくなり、
一日中急に怒りが出てきたり、悲しくなって涙が出てきたして、
その後、なにかが吹っ切れてきたそうなんです。

最近、ラジオで幸せ・ハッピーにフォーカスしたセミナー講師がこんなことを言っていました。
「幸せとかハッピーにフォーカスするっていうのは、【いわゆるネガティブなもの】たとえば、悲しみとか、怒りとか、寂しさとか、をなくそうとしたり、排除したり、押しのけたりすることではなくて、
私たちの本質は喜びや幸せであり、そうした本質的な幸せが自分だって理解していくと、
自分のいろいろな性質や、そのときどきの感情(悲しみとか、怒りとか、寂しさとかも含め)を受け入れられるようになっていく。いわゆるネガティブをただ感じることができるようになるし、本当はネガティブな(よくない)ことというようにとらえなくなっていく」ってことをおっしゃってました。

だから、深いハートに触れるようないい瞑想をしたのに、落ち込むって、そんなにおかしくないのかもねぇ。
ハートのおだやかさが本質だという理解が無意識に深まっていて、
これまで押しのけていた感情を受け入れる準備ができたから浮上してきのかなって思います。

ノボの6月のエネルギー予報によると、

2010年6月のメイン・テーマは変容と前進のための大掃除です。
炎と行動のエネルギーに満ちています。
特に、人であれ、場所であれ、物であれ、あなたが自分らしい人生を送るのに
貢献しないものを手放すことを避けようとすると、混乱が生じるらしいから、
5月から潜在意識のクリーニングに勤めてきた方は、引き続きGOです。

そうでないかたも、お掃除お掃除!
家族との関係の癒しにもよい月だそうですよ。
ええと、まだ7月の予報は出ていませんが、
7月に入る前にね、ほんとうにお掃除したほうがいいと思うよ?。
混乱が生じるのは、炎のような激しいエネルギーのせい。
本当に不要なものを変化させるためには、激しさもいとわないのです。
でも、この混乱は、よりよいものに変容するための荒っぽいやり方なの。
よいほうに変容しろ???ってきつく叱咤激励されてるってことです。
よい方向に向かってるんです。

【毎月1回、毎月のエネルギー予報とリコネクション・ルームからのお知らせを記載した
ニュースレターをEメールにて配信しています。ご希望の方は、メールくださいませm(_ _)m】

PS ええと、その、デジカメの充電器を祖国に忘れてきて、
美しいアリゾナの写真や大好きな太陽さん写真がとれません(。なんとかします。ええ、絶対に。。。。

2010年06月04日

24を起動せよ!

セドナは今回8回目なんだけど、いつもセドナにくると、いろいろ準備に追われたり、人にあったり、
1ヶ月という一見長く見える時間なんだけど、のんびりするってこと、あんまりないの。
でも、今回は、勝手が違って、本当に贅沢な時間を過ごしています。

なんていうか、自分の気持ちがいつものと違って、ボルテックスに行きたいとかっていう欲求も起こりません。とにかく静かにしていられることの贅沢さを味わってます。
ほんと、一日ってあっとゆう間ですね。

でも、もちろん、ただ、ぼーっとすごしているわけではありません。
そう、普段できない、いえ、やろうとしないことをやってみています。

そして、今日、生まれて初めてチャレンジしたことがあります。

煮物を作ってみました。

自分でも、びっくりだけど、生まれてこのかた40年、煮物を作ったことがありません。

先日は、生まれてはじめてまずいキンピラを作ったのですが、煮物も初めて。

こういうと、まるで私が料理がへたくそのように聞こえるかもしれません。
確かに、下手かもしれません。【今は】。でもね、メインの波動ではないにしろ、
波動で言えば、24というお料理が上手な性質を持つ波動をがっちり持ってます。

一人の人がいろんな波動を持っているってことは、何度もブログでも書いているんだけど、
持っている波動を生かすか、そして、どう使うかは、その人にかかっています。

ものすごい料理上手な波動を持っていても、それを使う思考を持ち、実際に使っていかないと、
まるで持っていないかのようにさえ感じます。
私のキンピラみたいに....

24は、おかだという名前の中にある波動です。
つまり、岡田家の人は料理が上手なはず。確かにそうなのよ。
うちの実家は、スナックなんだけど、お店で出す突き出しは、すべて、父がずっと手作りで作っています。それを晩御飯のおかずとして食べて育ってきましたが、とlっても、おいしかった。
母は生まれたときは岡田ではないから、24/6ではないの。
母は父に料理を習ったぐらいだから、納得です。
そして、父の兄弟たちの岡田さんは、おでんやさん、焼き鳥屋さん、おすし屋さんと飲食店関係の人がとっても多い。

そいういえば、24日生まれの友人には、料理研究家っていうか、TVで料理の作り方を教える仕事をしている人や、レストランのシェフだった人もいるなぁ。

そう、本当に波動は使いようなんです。

数秘のセッションをしていても、自分では、思いもよらない能力・ギフトをノボから教えてもらったりしてもぴんとこなかったり、
こんな才能があったらいいのになーと思うものが、波動としては自分の中に持っていたりすることって、
少なくないのよね。

なので、この贅沢な時間を使って、まるで生かせていなかった24を活性化中。
24は料理 が上手だけじゃなくて、知的で愛があるという性質の素敵な波動。
ぜひとも、ポジティブに強めたいです。

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記念すべき、煮物の一号。
あさイチを見て、学び、
そのとおりにやろうとしたら、ぎゃー、だしってものがないじゃないの。
それに片栗粉も。
でも、白だしとか使ったり、なんとか、それ風に見えるようにできました。
でもさー、すなおに言われたとおりにしているつもりなのに、野菜が柔らかすぎたりして不思議です。
味は、キンピラよりは、超そうとういい感じで、本人は大満足。

今朝の太陽ちゃん。
まだ、わたしめのハートが十分なじんでないと感じてはいたのだけど、なんとか、いけました。
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なんか、こちらのほうは、コツがつかめてきた感じ!

2010年06月06日

めそめそ

何かを手放したり、前進することにYESっていうと、感情・思考(いわゆるエゴってやつですね)が、「ちょっ-と待ったー!」と言って、抵抗をしかけてくるというのを教わったことがあります。
エゴは肉体の安全や保身が仕事だからねぇ。無理もないよねぇ。
ただ、YESって言ったことと関係ありそうな感情・思考だけでなく、関係あるかどうか自分には
よくわからん感情・思考も、それってどうよって抵抗してきます。だって、潜在意識の中やエネルギーの関係ってどこがどうつながっているなんて、見た目じゃわからないもの。

そんなわけで(ってことにしておいて)、
セドナなんていう、宇宙の法則が緊密に働く場所にいる私は、昨日、そうとうなNOOOOOOOに見舞われたのでした。うっかり、煮物なんて作ったりするからだよ(笑)

今までいったことのないところにハイキングに行く予定があって、超楽しみにしていたのに、それが朝キャンセルになったことがきっかけといえばきっかけ。
その後、急にものすごい度合いで落ち込んで、もうすごいめそめそなのよ。
っていうか、ハイキングがキャンセルになったぐらいで、何泣いているだっていうぐらい号泣5分間。
幼稚園児でもないし。もう、自分でも意味不明。
もちろん、こんなときにもクリーニング。
潜在意識のお掃除を試みたり、ウニヒピリに話しかけるも、
いつものように解放感もなく、孤独感とか、意味不明感とか、がんこ感とか、つぎからつぎへとめそめそは続く。


もういいや、今日はもう、めそめそし続けることに積極的にコミット!

乾燥して暑いセドナはビールがうまい。
Oak Creek っていう地ビールがあって、お気に入りなのです。
もう、時差で、ずっと4時間ぐらいしか寝てないし、今日は、ビールをバンバンのんで、さっさと寝よう。
と決めて、まだ昼間のように明るい夕方6時にビールを一本開けてああ、おいしいと飲んでいると、
電話がかかってきました。

昨年、セドナのカセドラル・ロックの上で知り合った日本人ヴォイス・ヒーラーの方でした。
カセドラル・ロックの夕日を見に行かないっていうお誘い。

ビールを飲みはじめていたし、めそめそすることに決めた私は、
すっごく嬉しかったのだけど、お断りしたの。

で、電話を切って、1分後。
いや、ちょっとまて、セドナでは(どこででもだけど)、Go with the flow 流れにしたがって動くのが鉄則。
それに、今日みたいに、潜在意識の混乱が自分をかき乱しているときは、自分のハートの感覚が鈍いわけだし、めそめそする決意はすぐにキャンセル。

ああ、そういえば、オーストラリアの真ん中に4ヶ月間ほど滞在していたことがありました。
そのとき、人生ではじめてのらぶらぶで静かな生活が始まると思いきや、
そうとうな度合いでこれまでとは違うパターンの前進にYESっていったものだから、
感情・思考の「ちょっ-と待ったー!」の暴れ度合いがすごかった。
頭がおかしくなったかとおもったぐらい。
その頃は、 まだ、スピリチャルな実践もほとんどしていなかったし、なすすべなし。
そのまま、一ヶ月ほど、その状態だったのですが、ウルル(エアーズ・ロックのこと)をおとづれて、
挨拶をしたら、あらゆるNOOOがさーっと、涙となって流れて、それからは、おだやかさが戻ってきたのでした。

というわけで、岩への挨拶は大切って思ったのです。
あー、土地のスピリットへの挨拶とか、感謝ってことね。
カセドラルさんは、これまで一番親しんでいた岩さんだし(丁寧語【お】をつけちゃったら失礼な感じになるね)、挨拶しなきゃ。


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で、すっかり気分がかわって、静かな自分に戻りました。


おうちで、ジャクジーで満天の星空を見ていると、宇宙の中にとけていくような感じがして、
一日じゅうめそめそに浪費し、ひからびたエネルギーが戻ってきました。

あとね、めそめその効用っていうか、面白い実験ができました。

めそめそしながらとった太陽さん
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そのすぐ直後に、めそめそしつつも、一瞬だけでもええから、とハートにぐっと意識を無理やり(?)向けてとった太陽さん。
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私、HPに『どんなときでも --- 悩みの真っ只中にいるときでさえ ---
平和で静かな喜びに満ちたあなたの本質が、人生のチャレンジに直面しているあなたを、
静かにそして絶え間なく見守っています。』
なんて、もっともらしく書いているけど、ちゃんと目に見える形で証明したぞー!みたいな気がします。

本当に、ちゃんと平和はいつもハートにあるんです。

しかし、「めそめそ」って言葉、かわいいね。
英語だと、whiny あんまりかわいくみえません。
日本語、素敵。

2010年07月29日

セドナ日記(4) 帰国後編

私的にびっくりしたことというのは....
理由のない幸せ感がずーっと続いているんです。

そう、セドナにいったときには、めそめそしていたり貧乏くさかったり、全体的にこれまでのセドナ体験の中では、私個人でいるときの気分がもっとも地味な一ヶ月でした。

行く前と、戻ってから、自分を取り囲む状況は、見た目、まったっく変わっていません。
だから本当に理由のない幸福感なの。

そして、これこそ、私がいつも大切にしたいとおもっていること。

もう、7年ぐらい前になるかしら、
5年間ほど瞑想を学ばせていただいたグループの瞑想リトリートに始めて参加したとき、
私はこんな体験をしました。
当時、私が書いた感想文です(なんか、恥ずかしいなぁ)。
だから、今のわたしが感じていることとは、ちょっと、違うところもあるけれど、
こんな経験がありました。


「私がここで学ぶことを決めた理由にはいくつかりますが、
その中の一つがセミナーの進め方です。 
以前に心理学の勉強をしていたときに、とある研究所に、週に一回、通っていましたが、
いちばん大きな問題を抱えた人にいつも焦点があたっていました。

そうした背景を持って参加した初めての瞑想セミナーは衝撃でした。 
毎回セミナーの流れは異なりますが、初日のフォーカスパーソンは中級以上の方ばかりで、
状態でいうと初めて参加される方よりも、落ち着いているように思われる方たちばかりがカードで選ばれていました。 初回の人たちにフォーカスがあたるのは、二日目以降です。
高いお金をだして、不安や恐れと戦いながら初めてセミナーに参加したのに、黙って人のワークを見ているだけ。 感想さえ聞かれません。「初心者は無視なの?問題をかかえているからきているのに、一体なんなのここは。ぜんぜん相手にされない。損した。」という不信感さえ抱きました。 

セミナー終了後「ここのセミナーはわけがわかんない。なんだったのだろう。」と思いながら家路につきました。 ところが、帰ってすぐに自分の感情・思考そして状況までもが大きく好転していました。
大きな失恋の痛手や、孤独感、そして借金など、非常に心理的に苦しい状況で参加してセミナーでした。不振感にまみれながら参加したたった2泊3日でしたが、家に戻ってから1、2ヶ月間ほど理由のない幸福感が続きました。
この事から気づきがありました。 問題ばかりに集中すること事体が、あらたなネガティブなスパイラルをつくり得ること。自分より高い波動に共鳴する事で始めてヒーリングが起きる事、先に進んでいる先輩の方々に知らない間に、波動を引っ張りあげて貰って成長し、知らない間に人生が変わっていくことです。目から鱗でした。」

とまあ、こんな感じで、非常に高い意識の中に入ることで、理由のない平和、喜びを感じるということがあったわけです。
それは、歓喜とかエクスタシーみたいな激しいものではなくて、
なんだか平和・なんだか静かに幸せ、といったようなさりげない感覚です。
でも、これがハートの本質に近い感じがするのです。

で、そうしたハートの本質に近い意識をなるべく保つために5年もの間、
年に4回ほどリトリートに参加してきました。
そこでの学びはとても素晴らしいものでしたが、諸事情で2年ほど前から参加をやめることになりました。
リトリートがリコネクションのセミナーのアシスタントの時期と重なることが多かったり、TAを辞めてからも、セドナに行く時期とかさなることが多かったり、自然と足が遠のくようになってしまったの。

そうしているううちに、
いわゆるスピリチャルな実践をしている方の多くがこの疑問をもつ時期があるんじゃないかんとおもうんですが、「先生(グルとか神様とか教祖とかなんでもいいけど)に引き上げてもらい続けなければ、いい状態になれないのか?」という問いを意識するようになりました。

現象世界で起きることは、すべてさまざまな面があるから、YES と NO のどちらかで答えられるような問いではないと思います。
違う見方をしたら、先生とかグルとか指導してくださる人々は自分自身が外に現れたものという言うこともできると思います。
でも、私の問いは、でも、そうゆう大きなレベルではなくて、もっと日常的な感覚として、
初めてのリトリートの後に味わった静かな幸せ感・健全なポジティブ感がある状態を、
リトリートとかじゃなくて、自分の実践である程度持続して味わえるようになりたいなってことだったんです。

それがね。今、起きている感じです。
もちろん、『セドナに行く』という日常ではないことをしたからって思うかもしれませんが、私的にはこれダイブ日常なんですよね、バーニング・ボウルをしたからかもしれません、確かにそれも一つだと思います。
でも、私にとっては、たとえば、瞑想会で6時間とか2日間とか瞑想するとかは、あんまり日常に近くない感じなんだけど、セドナも、バーニング・ボウルもかなり日常に非常に近い感じなのです。
バーニング・ボウルだと、やりかたさえわかって、本気でやれば、自分だけでさっとできることだしね。

もちろん、自分の力だけでやった、とということではまったくありません。
さまざまな高次のエネルギー、周りの人たちの思いやり、直接・間接に私を導いてくれているさまざまな人たち、そうしたものすべてのおかげなんだと思います。
ただ、日常の中で、理由のない平和の持続感を体験している感覚がありがたいのです。

そして、もう一つ言えば、5年ほど参加していた瞑想のリトリートですが、理由のない幸福感がいちばん長く続いたのは、実は初回でした。
あとは、理由のない幸福感という感覚を体験することはあんまりなくなって、
私の場合、リトリートによる波動の上昇はすぐに仕事の結果としてあらわれるということが多かったです。それが、むちゃくちゃ必要だったから、すっごくありがたかったです。

瞑想リトリートに参加するようになってから、人生が大幅という言葉ではたりないぐらい大幅に底上げされた私でしたが、ずっと、あのときの静かな幸せ感を懐かしく思っていました。

そうゆう瞬間はときどきあるのですが、持続する感じがしなかったんですよね。
私、仕事でヒーリングしているときはそうゆう状態になっているのですが、ヒーリングに入った瞬間にスイッチが入るっているか、なんかいつもとちょっと違う人みたいになっちゃって、
いつもの私はヒーリングしている平和な私を横目でみている感じで、自分の中に分離があるの。
仕事でないときの私だと、その平和感事体が希薄だし。

でも今回、とうとう、仕事でないいつもの私にもその平和感が戻ってきた感じです。

そして、その平和感は、実際には希薄になっていたわけではなくて、
何度もリトリートに参加しているうちにだんだんと当たり前になっていたんだということにも気づきました。

3ヶ月ごとに超おいしいものばっかり食べていたら、ちょっとおいしいものを日常で食べてもさほど感動がすくなくなっちゃったりしますよね。
そしてそのうち、3ヶ月ごとの超おいしいものの感動も薄れるっていうか、そんな感じ。

でも、実際には、同じように超おいしかったんです。

それに気が付きました。

【何も理由がないけど、静かに幸せ。】
これをみなさんと分かち合いたくて、わたし、ハーモニック・メディテーションをやっているのです。
というわけで、しばらく日本におりますので、みなさん、またまたよろしくね。

しばらく????

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