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焼き鳥とBeatles アーカイブ

2006年11月17日

焼き鳥とBeatles (その1)

みなさん、お久しぶりです。

研修とか大念願の家の大掃除とかしていたら、
2週間も空いちゃった。

と思ったら、今日のブログはとっても長い....
いや、その、いつも長いよね....
つまり今回は異常に長いので数日にわけることにしました。
なので、『その1』でございます。

あ、1月のスケジュールもそろそろ発表いたしますので、
待っていただいている方、すみません、もうしばらく (本当にもうちょっと)
お待ちください。

というわけで、その 1 です。

私は焼き鳥デーというものを設定しております。
毎週末に『一人』で近所の焼き鳥やで焼き鳥を食べます。
これが焼き鳥デー。
もちろん食べなくもいいわけなんですが、なぜかむしょうに食べたくなるのよ、その焼き鳥。

ごく普通のチェーン店系の焼き鳥やさんなのですが、
なぜか、病みつきになるのです。これはたぶんあたしだけではないはず。
だって、そのお店、週末はいつも満席で入れないことも結構あるもの。
お兄さんが真剣なおももちでパラパラと振りかけているあの塩の中に、
何か中毒性の物質が含まれているのではないかと私はにらんでおります。
そうにらんではいるものの、私はもう手遅れなので、毎週食べにいくわけです。
店内にはいつもオールディーズの音楽が流れていて、
胸キュンな感じでガブッと焼き鳥にくらいついております。

でも、こんな体になったのは、塩の中に含まれている特殊な物質のせいだけではありません。
この焼き鳥やさんのことが大好きになった理由がもう一つあるんです。

そもそも、初めてこの焼き鳥やさんに入ったのは、
まだ、契約社員という形でフルタイムで在宅の翻訳をしながら、
夜や週末にヒーリングの仕事をしていたときのことでした。

昼間翻訳をし、夜遅くにヒーリングが終わったある日、
ビールでも飲んでほっと一息つきたかったのです。
で、うちのすぐ近くにあるその焼き鳥やの前を通ると、ちょうどドアがあいて、
女子一人でもはいってもおかしくない感じだったので、そのまま吸い込まれるように中に入り、
ビールを注文しておりました。

焼き鳥は普通においしかったです。
家から近いし、とっても便利。

それからは、金曜の夜のヒーリングから帰ってくると、焼き鳥というコースができました。

そして気づいたときにはすでに中毒です。
気をつけてね、みんな。

昨年、インストラクターとして初めてシータヒーリングのセミナーを開催し、
無事終了した後にもやっぱりこの焼き鳥やさんに一人で行きました。
生徒さん全員がヒーリングを無事習得でき、なにごともなく終了したお祝いです。
(そして、もちろん、中毒だからです。)

あれ、今日はビートルズがかかっている。

その日は、あたしの大好きなビートルズばかりかかっています。

次回に続くわよ...

2006年11月18日

焼き鳥とBeatles (その2)

《というわけで、その2です。》

あたし「お兄さん、なんで今日はビートルズだけなの?」
焼き鳥のお兄さん「いつもオールディーズなんで、たまには気分変えようかなと思いまして….」

ふーん。

焼き鳥をムシャムシャ食べながら、私はこんなことを考えていました。

はるか昔、もう17年も前のこと (うわーっ)、某心理学研究所に通いはじめました。
そこでは、人の心を扱う仕事は文字どおり命がけだということを見せていただきました。
当時はヒーリングはもとより、心理療法さえポピュラーではありませんでした。
そうゆうものに通っているとか、興味を持っているなんて気軽には言えない雰囲気が
あった時代だったような気がします(私は平気で言ってましたが・・・)。
心理療法の現場で、
顕在意識ではまったく思っていもいないトラウマや感情が無意識の中から表れてくる様子を見て、
魔法みたいだなと思ったものです。
魔法みたいでそれでいて知的なセラピーという仕事に最初はとっても憧れました。
ですが、当然、ご自身もそしてセラピストにとっても非常にヘヴィーな状況のク
ライアントさんもいらっしゃいます。
そうした人が立ち直っていくのをお手伝いしている先生を見てとても尊敬をしていたものの、
憧れでできるようなものではない、人のために命をかけるなんて私には無理と思って、
その憧れは半年ともたず跡形もなくさらっと消えていきました。
つい最近まで自分のことでせいいっぱいでしたからねー。
そんな私にはどう考えても無理でしょ?。
人ってとっても強いものだと思いますが、それと同時に本当に繊細でよね。
そんな繊細なものにかかわれるような私ではなかったのです。

これは本当にリコネクションの進化促進の結果だと思うのだけど、
背中を押されるようにして気が付いたらヒーリングの仕事をはじめていました。
本当に決意した瞬間とか、将来計画とかなかったもの。
あれれー、みたいな。
とはいうものの、心理学の研究所時代に人の心を扱うことは私の手に負えるようなものではないと思っていた経緯があるので、いつもいつも、私は人に害を与えていないだろうか、
人に害を与えることに加担していないだろうか、お客様にそして自分自身に対して
嘘をついていないだろうか、これでいいのかしら、と自問自答をくりかえしていました。
簡単にいっちゃえば、『本当にあたしがやっていいの?』という疑問です。
確かに、私がかかわっているヒーリングは、私が学んでいた心理療法ほどは、
シャープに人の心の中にと入っていくということはありません。
特に、リコネクティブヒーリング/リコネクションは相手のことを
なーんにも知らなくてもというか、知らないほうがニュートラルでよいぐらいなのですから。
とはいうものの、ヒーリングという場にいる限り、人の心に触れるということは頻繁に起こります
(本当はどんな仕事だって、そうですが….)。
なので、いつも心には『本当に私で大丈夫か?』という? マークがありました。

ビートルズがかかっていたその日も、
セミナーは無事終わったものの、
『ヒーリングを習得することが、本当に受講生さんたちにとってベストなことだったのだろうか?』とか、
『「私は特別、あなたは生徒」ではなく「私もできるのだから、あなたもできる」というスタンスを
貫いただろうか?』、
『教えることによって、私は受講生さんをを弱めたり、変なものにかかわらせたりしていないだろうか?』、
『私のエゴは増長されていないであろうか?』
と、いろいろな思考がわんさか出てきていました。ヒエーっ。
でも、こうした思考を一言でいっちゃえば、
『なんであたしなんかがヒーリングなんてもんを教えてるの?』ってことなんだと思います。

こんな思考にグルグルと巻き込まれて、
ビールはうまいながらも頭はグルグルのときに聞こえてきたのは・・・・

♪You say you wanna0 revolution.....

というジョン・レノンの力の抜けた声。


《しつこく、次回に続くわよ...》

2006年11月19日

焼き鳥とBeatles (その3)

《その2からの続き,,,,,》

一瞬のうちに私の中が安堵感で満たされました。ふわーん。
お口の中に焼き鳥の肉汁が染み渡るように。。。。

「ああ、OKが出た。」

そう思いました。

もちろん、この先もずっとOKとか、そうゆうことではないのだけど、
とりあえずは、今のところは、おおむね『よし』って、宇宙意識とか存在の根源とか、なんでもいいのですが、
そうゆうものから了解がでたような気がしたの。

これは、17年どころじゃなくて、20年も前 (えーん、えーん (T_T)) の高校生のとき、
激しくあたると評判の占いのおじさんが札幌にいて、そのおじさんに鑑定してもらったことがあります。
そのとき、おじさんに将来何になりたいのか聞かれて、私、迷わず、こう答えました。

『革命家』

いや、その、ありえないよね、この回答。
文字にすると、そうとうこっぱずかしい。
当時は 80年代ですよ。
文字にするとっていうか、音声でもこっぱずかしいよね。「かくめいか」。
なんか、もう、時代錯誤っていうか、いいわけのしようのない恥ずかしさ。
このことは、マジで20年間封印してたわよ。だって恥ずかしいもん。

でも、そのときのあたしは本気で、できれば、そうしたことをしたいと思って、つるっと言っちゃったのです。
国に対して闘争を起こそうとかじゃなくて、とにかく永遠に戦争がなくなればいい、
戦争とかで死にたくない、そうしたシステムを実現するために活躍したい。
そんな風なことをこっそりと夢見てたんだと思う。
もちろん、こんなこと、普段は具体的には考えていなかったし、
お友達にも言ったことありません。
こんな発言しちゃったのは、
もちろん、Beatlesの中でもジョン・レノンが大好きだったので、
その影響だということもできるし、
心理学的に見地からは、自分の育った環境が気に食わないから、
自分の不幸を環境・社会のせいにして、それを変えたいと思ったということもできるよね。
あとは、ニューエージ的には前世でなんかそうゆうことにかかわってた、とかって説明もありかも。
そんな風に理由は、いろいろあるのでしょうが、とにかく、かなり本気でそう言ったのだけははっきりと覚えているのです。

で、そのあたると評判の占い師さんいわく。

『なれますよ。非常に素質がある。すばらしく向いている』だって。 <おい、何いってんだ>
『ただし、本気で勉強して、本気でとりくまないと、本当にだめ人間になる』いう釘刺し付きで。

なんか、田舎の女子高生とプチ都会の占い師の会話とは思えないよ、これ。
でも、二人とも相当シリアスに話していました。はたから見てたら相当不思議だろうな?。

《もっとしつこく続きます》

2006年11月28日

焼き鳥とBeatles(その4) - 最終回

《その 3 からの続きです》

そもそも「革命家」っていっても、どうやってなっていいかもわからなかったし、
テレビで昔のニュースが流されることがあるけど、
そうゆうので見かける革命家な人たちはそうとう怖くってあまりお近づきになりたくないし。
という感じで、この占いの後は、ふつ?の高校生らしく、家庭の混乱とか、受験とか、
学校の出席日数が足りないとか、一家離散とか、浪人とか、失恋とか、泥酔とか、いろいろなことで、
革命のことはすっかり忘却のかなたに。
大学に入ってからは、まず自分のやりたいことが何なのかわけがわからなくなっちゃって、
最終的には革命どころか自分が誰なのかさえさっぱりわからなくなって困ってしまったので、
心理学を学び始めました。
そんなこんなで、いわゆる自己探求の長?い旅が始まったのでした。

そして気がついてみると、ヒーリングの仕事をするようになっていました。

歴史を見ても平和な社会を作ろうという試みがつぎつぎと失敗していますよね。
自己探求の旅をしているうちに、ここ数年、平和な社会を望むなら、
まずは自分の心の平和からしかないと心から思うようになりました。
そうゆうことは、ずーっと言われていたんだけど、なんかきれいごとのような気がしてたのよ。
自分が平和になっても、まわりに苦しみや騒乱があれば、自分もその苦しみに共鳴して
平和ではなくなるかもしれないけれど、
私が完全に責任を持てるのは自分の心の平和だけだもの。
だから、まずはできるとこと、自分からです。
確かに、社会への働きかけも重要だけど、それに心の平和が伴っていなかったら、
やがては失敗するんじゃないのかなと思うのよね。
しかし、自分の心の平和っていう最小単位にさえ責任を持つのも簡単ではありません。
私も、日々、失敗してばかりです。
でも、だれかが有名な人が「成功し続けるまでやり続ければ、失敗なんてない」ってことを言っていたような気がします (わー、すいません、引用が超あいまい)。

心の平和を目指すヒーリングを自分の仕事にするってことは、
私にとっては「革命家」になるってことなんだって、焼き鳥を食べながらはっと気がつきました。
「害を与えない自分になること。」これが私の革命なんだって思ったのよ。
(別の言い方をしたら、これまでも、そして今もなおいろいろと多くの害を与え続けてきているので、
「害を与えない」なんてあたし的にはまさにレボリューションってことでもあるんだけどね(汗;))

というように、いろんなことがパーッとつながった瞬間だったのです。
それで、とりあえず私はこの方向でいいのかなって
思ってしまいました (案外、単純)。
もちろん、すべてが私の勝手な思いこみでしかないのですが....
でも、焼き鳥やさんにいたほんの一時間たらずの間に何百曲もあるビートルズの曲の中から
レボリューションがかかる確率はあまり高くないはず、
そして、あれから数ヶ月たちますが、それ以来、そこでビートルズがかかったことは一度もありません。

なんか、こうやって書いちゃうと大げさな感じになってしまうけど、
とにかく一瞬のうちに、悩みモードから「明日もがんばろう!!!」っていう
焼き鳥がおいしく食べられるモードに入りました。

もちろん、そのときにジョン・レノンさんがくれた安堵感にず?っと安住している
わけじゃないんですけどね....
そのときにやっていたことで、やっぱり害になりそうでやめちゃったことも多々あるし 
(すみませ?ん)、
自分ではそうと気がつかずに害を与えちゃっていることもあるし...
お客様にもあれこれを不快な思いをさせてしまったり、普段でもイライラしちゃったり。
ゴキブリにがんつけてしまったり(あっさり負けて、岡田邸に侵入されました)。

私の中でいろんなことがつながった場所。それがこの焼き鳥屋さんなの。
だから、お気に入り。
一人で通いつめるさびしい中年の女子と思われてもいいの。
最初は、本気でこれを気にしてたんだけど、そのうち、やっぱりどうでもよくなっちゃった (笑) 。
これもリコネクション効果かしら? (笑)
でも、注文するとき「いつものでいいですか?」って言われると
やっぱりちょっとはずかしくて顔を赤らめがち….誰も見てないけど...,.

とにかく、とうぶんは、焼き鳥を食べながら、あたし自身の革命にチャレンジし続けるわよ。
ヤーっ (掛け声)


おしまい

2010年09月05日

「かかってません。」「いいえ、かかっています。」

なんのこっちゃ?というタイトル。

ビートルズの曲がです。

それは、どこで?
焼き鳥屋さんです。

8月21日と22日に京都のよしだめぐみちゃんが、
リコネクション・ルームにやってきてくれて、
コラボ・セッションをさせていただきました。
セッションを受けてくださった方、ありがとうございます。
こんなご感想も、いただいております。
http://heartnomaho.com/2010/09/blog/506.html

コラボ・セッション一日目が終った夜。
晩御飯、なに食べる?って話になって、
一発で意見が一致して肉と酒セレクション。
「んじゃ、ここと、あそこと、どこと、そこがあるけど、どれがいい?」

よしださんは「焼き鳥やさん」と即答。
来てくださるクライアントさんの中にも、たまに、
過去ブログまでずっと読んでくださっている方がいて、本当にありがたいんだけど、
このときよしださんは、すぐに私がさかのぼること4年前にブログで書いた
『焼き鳥とBeatles』に登場する焼き鳥やさんだと、
すぐにピンときたそう。
いまでも、そうなんだけど、何かしていて、脈絡なくどこかから
ビートルズが聞こえてくると、私の場合、だいだい「GOサイン=このまま行け!」なのです。

セッション・ルームから歩いて1分。
店の前に到着すると、

おかだ「そうだよ。ブログに出てくる焼き鳥や。でも、あれ以来ビートルズとかかからないけどね。」
よしだ(恐ろしく怪訝そうな顔。まるで、この人おかしいんちゃうか?といったような….)
おかだ「そういえば、あれから、相当の回数きてるけど、一回もなかったような」
よしだ「え、かかってるよ。」
おかだ「は?」

いや、それが、店の先、つまり外側にラジカセがあって、そこから、紛れもないビートルズの曲が流れています。延々とビートルズの曲のみ....

おかだ「あ、ああ、あああ、あれ?おかしいな?ラジカセなんて、ここになかったよ。おかしいな?」

ビートルズはGOサインなんだから、素直に喜ぶべきシチュエーションのはずなんだけど、
人間というのはマカ不思議なもので、現実が自分がこうだと思っていたものと違っていたら、それが
自分にとって喜ばしいことであっても、受け入れがたいものだったりするのです(笑)。

あわて気味に店の中にはいり、中の音楽を確かめるわたし。
オールディーズがかかってます。なぜか、ほっとして、力を取り戻し
「ねっ!ほらねっ!中は違うでしょ!」と自分の正しさをムキになって証明します。
いったい私は、何がしたいんでしょう(笑)。
自分が正しいのドラマを演じたいですね。かわいそうに(笑).....

そして、二人で中に入り、乾杯し、ひといきついたところで、
やっとビートルズ=GOサイン、つまり、わたしたちのコラボはGOってことで、
盛り上がり。

カウンター席だったので、肉を焼いているお兄さんに聞いてみたところ、
店の前のラジカセは、最近導入したそうです。

「ビートルズとかかけることあんまりないですよね?」

「ええ、あれは、”上”からの指示なんです」

「は?上から?ですか?」

普通「上からの指示」といえば、上司とイメージするかもしれませんが、
一日どっぷり瞑想しまくりの私たちにとっては、その言葉は「上=天」としか響かなかいに決まってます。
「おおおおおぉ、上からの指示かぁ」と、また、焼き鳥とビールを片手に盛り上がる、非常に世俗的なわたしたち。

いろんな意味で、そうとう気分よく一日を締めくくったのでした。

でも、振り返っても、このコラボがGOサインじゃなかったことなんてありませんでした。

瞑想会などにも参加してくれるリコネクション・ルームのクライアントさんが、
よしださんのセッションに興味を持ってくださって、
じゃあ、東京に呼びましょうということになり、トントン拍子でいろんなことが
決まっていきました。

私たちの意識が成長して、もっと波動があがった未来社会では、
人はテレパシーのようなことでコミュニケーションし、嘘がつけない社会になるってきいたことありませんか?そうした世界に以降しつつあるから、世界中でいろんな嘘があばかれているとか・・・・・
そんな感じに近いような、ものごとに決まり方。
当然、一応は言葉には出すけれど、その背景にある意図をすぐに理解できるから、
楽にものが決まっていきます。
案外せっかちやさん同士っていうのもあるけど(笑)

ぜんぜん関係ない文脈ではあったのですが、
ガイドの通訳で、友達の渡辺さつきちゃんが、私が昔こんなことを言っていたと話してくれました。
言った私は、すっかり忘れてた。

「ボディーボードで波乗りするときに、十分な大きさの波じゃないと、
波に乗ろうとしても、不発弾みたいに、ぜんぜん、すーっと進んでくれないから、
いい波がくるのをプカプカ海に浮きながら待つのがまた大切なんだよ。」

むやみやたらに、手とか足とかばたばたさせても(ボディーボードでは、
波に乗る瞬間に、手と足をばたばたさせて推進力をつけるのです)、疲れるだけだし、
小さい波で不発弾に終ったら、また、いいポイントまで、手を足を使って波にさからって沖のほうに進んでいけないのが、
また骨が折れるんです。私、以上に腕力が欠乏しているので、沖に出るのがすっごい大変なのよ。

波を待っているときって、プカプカ浮いているだけだし、
遠くのほうから続々と波はきても、どれもたいしてよさそうじゃなかったりして、
いったい全体、私のようなド素人には、いつ素敵な波が来るのかもわかりません。
本当に波はくるのかしら? 波がきたら、私にわかるかしら?と、心もとナッシング。
でも、そんな何も起きていないようなときでも、
すでに沖のほうや無数の波つらなりの中のエネルギーの世界では、
素敵な波がやってくるエネルギーが発生していて、
それは、海の水、海底の地形や、風やさまざまなものと
協力して、徐々に素敵な波の形を形成し、私のところにやってき始めているんだよね。
でも、私はまったたくそんなの、わかりません。

今回のコラボセッションを企画して、開催したプロセスは、
波の上でボードを滑らしているその瞬間って感じでした。 楽しかった!

でも、その波を静かに待っているときも、確実にあったわけです。
手ごたえがあんまりなくって、
本当にこの方向でいいんだろうか?とか、
もしかして自分は停滞しているんじゃないかしらって、疑問に思ったり、
静かに自分の待つ波がくるまで待っていようと思っているのに、
うっかりそうじゃない、波に流されちゃって、また、体制を整えなくちゃいけなかったり。
ありましたよ-。

でも、そんなときでも、私たちが待っている素敵な波のエネルギーはすでに、
すこしずつ私たちのほうに向かっているはず。

波に乗っている瞬間は、そのプロセスの最後の物質的(3次元的)な現れなわけで、
結果だから、ある意味、もう動きは収束していきます(その後、次の動きにつながってはいくけど)。
結果を生み出す原型というか、種というか、は、
私たちが「何にも起こっていないなぁ」とか、「静かだなぁ。地味だなぁ」って思っているときに、
エネルギーの世界で確実に始動して、激しく動いているんだと思います。

よく人生は、波乗りにたとえられますよね。
楽しく、すいすい、困難(大波)も乗り切るようなのって理想ですよね。
でも、一生懸命、手でこいで沖に出るのも、波乗りの一部。
いい波が来るのを静かに待っているのも、波乗りの一部。
波にのって、岸についたら、また、沖に出ないと、波に乗れません。
そのすべて波乗りなんだから、そのすべてが人生の一部。
そして、その全ての瞬間に、エネルギーの世界では、私たちの思ってもいないような、
動きをしていたりするのかも。

そんなことをますます信頼していきたいなぁ、なんて思いました。

そうそう、話はとんじゃったけど、
焼き鳥とBeatoles では子どものころ「革命家」になりたかった恥ずかしい話を
書いたのですが、11月になんと、本物の「元革命家」に会いに行きます。
革命の仕方を習ってきます。(←うそです(笑)。)
アメリカの方で、「元革命家」というのは本当だけれど、革命は起きていないから、失敗したみたいですしね(笑)
そうではなくて、本当は、「自己の本質をただ見る」というためのリトリートに参加してきます!

コラボ・セッションの最終日に初めて行ったーバーでも、ビートルズがかかっていたし、
ちょっと反則で『レボリューション』リクエストしちゃったけど、GOってことで、『上のみなさん』も
目に見えるみなさんも、よろしくお願いしますm(_ _)m

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